2013年5月21日火曜日

共有するということ

(昨日はゼミ飲み等で書く時間を逃してしまったので、今日書きます)


先週の授業では、それまでの一週間の成果物をほとんど出せず、グループとしてどうあるべきかを考え直さざるをえない状況でした。
全員が集まれる日がなかったというのもありますが(それも完全な言い訳)、結局のところ、お互いのアイディアや気持ちをしっかり共有できていなかった、理解しているつもりでも掘り下げが甘く、どこか表面だけ感じ取って鵜呑みにしているところがあったのかなと感じられました。
そのために課題の構成が思うように進まず、グループ全体のモチベーションが落ちていたのだと思います。

もうひとつ、授業後の惣坊の言葉から生じた、お互いアイディア出しはするものそれが果たして本当に自分が実行したいことなのか、という観点。
それはたしかにあまり兼ね合わせて考えていなかったのかも。
でもこのような観点からより率直な見方をすることができるようにはなったと思います。
共有とは、各々の素直な気持ちまでを伝え、相手のほうはそこまで掘り下げて掴み取ろうとする、それが合わさったときに成立するものなのだと、理解することができました。

個人的には以前より、地元の人々にとっても外部の自分たちにとっても良いことにつながるような関わり方をしたいとは思っているのですが、しかしそれで果たして地元はどうなるのだろうか、その結果本当に幸せが訪れるのだろうか、またそれが本当に自分のやりたいことなのか、
このような問いとそれに対する答えという精製作業のなかで、見えないウソを削ぎ落とし、リアリティーそのものの質を高めていく(よくわかりませんね笑)ようにしながら、最終成果物を出したいなと思っています。


具体性を帯びた内容がまったくありませんが...、以上!



投稿者:二日酔いの山口

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